福岡の展示装飾・ディスプレイデザイン

展示会とは何か(5)

博覧会から展示会へ


last updated on April 30 2020
Designer
ken Egami

ディスプレイデザインの近代化
 
 1871(明治4年)から(明治45年)の40年間に122回の博覧会が実施されたという。(『わが国博覧会の歴史と変遷』百崎誠氏)それほど多く開催された博覧会は、明治後期ごろから展示技術や展示企画の必要性をもたらしたようだ。それまでのおびただしい数の品々を雑然と並べていた展示スタイルにいくつかの変化が見られ、それはディスプレイデザインの核心である"より良く見せる"意識の萌芽ともいえる。
 
1)模型
 特徴の一つに模型を使い視覚的に理解できる工夫もあった。例えば、1907(明治40)年に開催された「東京勧業博物館」では、各国との貿易額を汽船の大きさで比較的できる模型や新しく架けられる日本橋の三分の一スケールの模型、陸海軍による東京全市の模型や水雷の沈設の様子が分かる模型などがあった。
 
 中でも牛久葡萄酒(牛久ワイナリー)の展示は現在のセールスプロモーションとしてのディスプレイとほとんど変わらない手法といえる。大理石製の六角形の台上に醸造所や倉庫といった葡萄園の全景模型をつくり、商品である葡萄酒をその上に設けた数段の棚に陳列し、商品への理解とイメージづくりを図った。
 
 1914(大正3)年で製作された『鉱山大模型館』は人気が高かったという。「鉱山そのものの形、隧道もあれば険しい山道」もあり、もちろん鉱山内の作業風景も実物大で展示さた。坑内から15mほどの大きさのエレベーターで山頂まで登ることもでき、そこからは博覧会場内が見渡せたという。ダイナミックな模型を使ったインタラクティブ展示といえよう。
 
2)マネキンの登場
 博覧会に出展した百貨店の中には「マネキン」が見られるようになった。我が国のマネキンの歴史は1855(安政元)年、松本喜三郎(熊本出身)の「生き人形」にはじまるとされ、同じ熊本出身の安本亀八もそのライバルだった。新興のパノラマ館や映画館に食われ、生き人形は一度衰退するが、1900(明治33)年ごろ三代目亀八がディスプレイとして活路を見出したとされる。
 
  亀八によるものかわからないが、1907(明治40)年の「東京勧業博覧会」では、三越や白木屋が人形飾で人目を引いたとある。三代目亀八は1910(明治43)年ごろ、伊勢丹、白木屋、松屋等の百貨店でウインドー用人形の制作と関わったとされるので、この頃、百貨店におけるマネキンは重要なディスプレイアイテムになったと考えられる。
 
  その7年後に開催された「東京大正博覧会」で、白木屋が自社商品の宣伝も含めて出版した『東京大正博覧会案内記』によると「品物の性質と人形の応用が自由であるからこれを利用している向きも56以上ある」。また松坂屋、伊勢丹、松屋の展示にも触れ、「三社とも皆、ケースの意匠に多大の苦心を示した物で、人形の応用も実に巧妙と思われる」と書かれている。
 
 マネキンには、もう一つの系譜がある。医学的見地から人形製作を始めた「島津マネキン」だ。ちなみに初代島津源蔵は「第一回内国勧業博覧会」において錫製の医用ブージーを出品し、褒賞を受けている。現在の島津製作所は1891(明治24)に科学標本の製造を開始し、1895に(明治28)年、標本部を新設。やがて人体模型の製作もはじめている。「医学のためというよりは、子どもたちに生命の神秘を教えたい」いうのが事業のコンセプトだった。
 
  そのほか、1907(明治40)年の「東京勧業博覧会」の医学部門で名誉銀杯を授与されたのは後藤節蔵(風雲堂:九州風雲堂販売株式会社)の「皮膚病微毒蝋製模型」は、博覧会の案内書の中で「患者局部の模型」と紹介され、『博覧会の見もの』の一つにあげられている。子供の頭部の半分を使い、白癬(水虫・たむしなど)や湿疹のほか、微毒性・結核性皮膚病の様子をありのままに伝える科学模型で、案内によると来場者は怖いもの見たさで立ち止まるのだという。
 
 見ただけで強烈な印象を与える人体模型はこの後数多く開催された「衛生博覧会」へと応用されていく。
 
3)電気を応用した展示
 東京大正博覧会(大正3年)で人気が高かった展示の一つが「電気科学応用娯楽館」だった。この展示方法は、技術の差こそあれ、ひと昔前の地方博で使われていた手法と何ら変わらない。
 
 まずくらい会場の中央に設置された横1.2m、縦1.5mの額縁がある。次に閃光が走り朦朧とした中で音楽が流れる。すると人の顔が現れ、目から枝、口から葉、耳から花がのびていき、最後は花瓶になってしまう。ところが花瓶はやがて牡丹の花に変化したかと思うと、しおれてしまい骸骨になるものの、人の顔に復元され声を出す。さらに、顔は鳥へと変じて羽ばたき、もう一度顔に戻る。
 
 見るだけなく、来場者が五感で感じるこの展示方法は、技術の発展により実現されたマイルストーンであり、同時にディスプレイデザインの発達と技術の関係を物語っている。そして、ディスプレイデザインが流行や時代性を反映するという特性を示す顕著な例である。
展示品の陳列を主とした博覧会が、余興として扱われたこうした展示方法にやがて逆転されていくのである。
 
4)陳列棚
 装飾としてのディスプレイデザインの大部分は建築デザインに依存したようだが、明治後期ごろから展示ケースやディスプレイデザインを応用した環境づくりにも進化が見られるようになった。『東京大正博覧会実記』(笠原天山 編1913)に『衆目を引く陳列棚』という項がある。その中で多くを占めるのが展覧会に出展した百貨店の陳列棚に対する著者の印象だ。
 
<超意訳>
白木屋・・・陳列棚はルネッサンス様式のデザインで、エナメル塗装仕上げになっていて、四隅の柱にも装飾が施されている。カーテンは薄緑色で全体のカラーリングについては、かなり感えているように思える。
 
今川橋松屋・・・展示販売スペースの半分を使って月宮殿裡(月の裏にあるとされる宮殿)を演出している。天女が舞楽を踊っている姿(カットアウトか立体)に、十分を思えるほどの染色された生地を着せつけいる。残りの半分で商品を綺麗に整頓して販売。欲しそうに眺めている人も少なくない。
 
いとう松坂屋・・・マルホフ式とよばれる原色使ったオリジナル図案による配色の王冠型陳列棚を5.4m四方に配置して、その中央には大小5体のマネキンを用いて春の野原で遊んでいるようなイメージ演出。(陳列棚に王冠型の装飾があるのか?不明)マネキンに着せている服は、超有名な画家たちなので見る価値が高い。
 
三越・・・第2工芸館では古典的なイメージのルイ16世様式の客室とアダム様式の隣室を使い分け、全体的にヨーロピアンな感じ。家具類は最新の塗料を使っているので繊細かつ手の込んだイメージになっている。
また、別館ではルイ16世様式の陳列棚を配置し、その中に近々オープン予定の建築模型を展示。周囲を月桂樹で装飾。
 
徳永保之助商店(ブラシの専門店) ・・・1.8m四方の陳列棚だが、その中には(おそらく)ターンテーブルを使った展示をしている。
 
井上小四郎商店・・・花笠型の回転テーブルの上に石鹸入れや櫛入れなどを置いて、さらに電飾(内部照明か)を施している。
 
尾張屋眼鏡店・・・展示ケースの上に直径30cmぐらいの大きなレンズを置いて、メガネ商品を少しだけ飾り付けいるだけなのだが、煩雑に陳列している周りに比べると、スッキリしていて良いイメージがする。
 
 百貨店のディスプレイは企業イメージを伝えるものであり、現在の展示会におけるブランディング戦略と何ら変わらない。白木屋はすっきりとした上品さをアピールし、松屋はクリエイティブ、松坂屋は遊び心、三越は舶来や高級感といった具合だ。ファーストインプレッションこそがディスプレイデザインの命である。

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