福岡の展示装飾・ディスプレイデザイン

展示会の源流


last updated on April 30 2020
Designer:Ken E.G

 見本市を含む展示会が古代の「市」に始まるという考えは多くのディスプレイデザイン関係者の認める意見である。経済産業省の『第2章 世界の展示会産業 』の中でもその沿革と位置づけが説明されているので、いちいち調べてみようと思うのもの無駄かもしれないが、コロナによるステイホームが長引いているついでにネット情報を使って展示会の源流へ遡ってみよう。だから本当かどうかの保証はない。

 
「市」の発生と変遷
 我が国の「見本市」は欧米では「トレードショー」「トレードフェア」などとよばれる。トレードフェアとはtrade=交換のfair=市であり、ブリタニカ国際大百科辞典の説明にも、"多数の商品見本陳列して,その宣伝,紹介,販売促進をはかるために一定期間を限って設けられる市"とある。
 
 フェアとマーケットはよく似ている。フェアには見本市や博覧会を含めた市の意がある一方で、マーケットは地元の人同士がが開く市の意が強い。したがって、フェアは他の地域との交易の市だと考えていいだろう。またHelen Augur(米・ジャーナリスト)は、フェアは定期的に開催される大規模な取引であるのに対しマーケットは小規模と述べ、規模の違いもあるようだ。エジプトの祭りで使われた船もレバノンから取り寄せて作られている、というのを
 それとは別に中東で開かれるようになったバサール(bazaar)という用語も、フェアと同じように交易を目的とした市である。
 この市(fair)の源流をどの時代にするかついては議論の対象となっているようだ。例えば貨幣が存在していない時代やモノの等価価値など問題がある。それでも、少なくともエジプトの遺跡には交易の様子が残っている。例えば、18王朝(BC12世紀〜BC15世紀)の墓には、船を使った交易の様子などが描かれ、パピルスには油やワイン、オリーブ、魚、きゅうり、塩、衣服などが船が運ばれてきたことが書かれている。交易がナイル川のそばで行われていたとを絵は示している。袋に入れた農産物をもつ女性と船上から穀物の袋を渡す男性の様子がは交易の証拠だという。
 
 それらは文字通り、物々交換によるトレードだったが、エジプトにはデベン(deben)とよばれる交換基準になる金属があったのも交易の証拠だろう。デベンは時代と共にその形状や形、重さは変化していったようだ。また、古代エジプトの祭りでは、レバノンから取り寄せられた杉を使って船がつくれている。
 
 エジプトの他にもバビロニアやアッシリア、フェニキアも交易が盛んだったことがわかっている。特にフェニキアの海上交易が古くから行われていたのは、広く知られている。ウガリト文書によれば貿易活動は前 14~13世紀には当時の全世界に及んでいたとされる。
 
 古代から外国との交易は盛んに行われていたのは事実だとしても、フェアが開催されていたのかどうかについては調査に及んでいない。
 
◆資料
『The Pre-industrial Cities and Technology Reader』/Colin Chant 
『Selling and Shopping in Ancient Egypt』/ Jun Yi Wong Reseach Gate
Measuring weight in Ancient Egypt/Digital Egypt for Universities
『Encyclopedia Britannica』/trade 
『National Giograhic』
 
 
  

 
フランスのフェア
Fair Scene
William Hogarth, 1697–1764, British
 
 

1)古代のマーケットプレイス
(1)アゴラ(ギリシャ)

アゴラの画像
Maria DrimonaによるPixabayからの画像
 

 
 B.C.6世紀ごろ、アテネではリディア王国で発明された貨幣(エレクトロン)を真似た銀貨(スタテール)が普及し、交易が盛んになった。
 紀元前6世紀から1世紀まで、アゴラは司法や討論、礼拝の場でもあったが、市(フェア:fair)や小規模なマーケットも開かれていた。多くの小売は店や露店販売でされていたという。
アテネのアゴラでは魚やデリカテッセンなどが販売されていたのが判っているという。買い物をするのは主に女性で、手伝いのメイドを雇うのもできた。またアゴラの役人(agoranomos)により、公平で不正のない取引や重さやサイズが示された。販売の量や時間、場所のチャージなどの制限はなかったという。
 
 『Encyclopedia of World Trade』によると、僭主・ペイシストラス(Peisistratus B.C.6世紀頃 – B.C.527年)によりアゴラはマーケットとして整備されたという。ペイシストラスは井戸の封鎖や民家の撤去、銀貨の導入などで商業機能の高い広場にした。
 
 アテネのアゴラでの月例市は新月の日に開催されていたが、大規模な市は宗教的な祭の前後に開催されていた。例えば、テッサロキナ(Thessalonia)の聖デミトリアス祭(St. Demetrius)では6日前に市が開催され、カタルーニャやフランス、イタリアとの交易もあった。大規模なフェアは宗教的祭日に開催され、キリスト教徒は奴隷を買うか、生活必需品の購入以外は行ってはいけない決まりがあった。だが、異教徒の文化に押されてしまい、フェアの開催日は伸びていったという。
 
 2年ごとに開催されたティトレア(Tithorea in Phocis)における市では奴隷、牛、衣類、金銀細工が売買されていた。また、デルポイにおける祭り(Pylaea at Delphi)は奴隷の売買が目立ったという。特に、古代ギリシア四大競技会の一つであるイストミア祭(Isthmian Games)で開催された市はアジアからの輸入品も取引され、その美しい景色も手伝い、人気が高かったという。
 
◆参考
『Encyclopedia of Ancient Greece』/Nigel Wilson
Encyclopedia of World Trade: From Ancient Times to the Present, 1st Edition』/Cynthia Clark 、Northrup
『Ancient Greece』/Peter Connolly、 Andrew Solway
 
 
(2)フォルム(ローマ)

フォルム
トラヤヌスの市場
wikipedia

 マーケットプレイスとしてのアゴラの考え方はフォルム(forum)としてローマに受け継がれる。しかし、古代ローマを代表する「フォルム ロマヌム」は次第に肥大化していく。初期の頃は店舗のほか、剣闘場(gladiatorial games)としても使われ、列柱の上には観客用のギャリースタンドが作られていた。しかし、その内外に寺院、記念碑、さまざまな神殿、刑務所や上院の家だけでなくさまざまな皇帝のフォルムなどが追加され、市場機能よりも権力の象徴としての役割が優先されたようだ。シーザーやアウグスティスのフォルムがその代表だ。もはやフォルムは政治や宗教のための多目的広場となり、ギリシャのアゴラとは違った性質の建造物になった。
 
 しかし帝政ローマになると、生活に密着したフォルムが建てられるようになった。フォルム ロマヌムのそばに建てられたのは階層建ての「トラヤヌスの市場」とよばれるショップやオフィスなどが入った複合施設(macella)であり、今日のショッピングモールに似ている。そのほか、特定の商品に特化した野菜市場の「forum olitorium」「forum venalium」、魚市場の「forum piscarium」、惣菜等の「forum cuppedinis」などもつくられ、ある意味、理想的な経済流通システムが構築された。
 
  古代ローマの主要都市には店舗も存在していた。例えばトララヌスの市場の1・2階はその構造や大きさから、店舗だったと考えられている。また、ナポリの南に位置するヘルクラネウムの遺跡は店舗があったこと物語っている。商品のディスプレイや販売に使用する石積みのカウンターや豆などの食料が保存できるセラミックの大壺、大きな壺を埋め込み、壺の口に合わせてそのトップをフラットしたコの字型の大きなカウンターなどは、店舗の跡だと考えられている。
 
 また、市場とは別に道路脇で商売する露天商(stalls)も存在した。ポンペイに残っている円形劇場で起こった事件を描いた絵には、柱の間に布を張った露天販売の様子や記録が残っている。『Ancient Origins』によると、ローマ軍収容所の近くで兵士に食料や衣類を販売し、戦利品を購入する商人もいたという。
 
 B.C.1世紀後半、ローマの人口は約100万人とされる。ローマの寺院やフォルム、キクルス(circus)、円形競技場などの周りはこうした店や露天商と客で賑わっていたという。ローマはB.C.2世紀半ばには地中海世界全体を統一し、その属州から海外製品が流れ込み、街全体が見本市のようだったと考えられる。また、「パンとサーカス」という言葉に代表される国からの娯楽提供により、交易による"市の非日常性"は必要でなかったのかもしれない。
 
 ◆資料
『Encyclopedia Britannica』Forum
『Trajan's Market: Possibly the world's oldest known public shopping center』/REALM OF HISTORY
『Handbook to Life in Ancient Rome』/Lesley Adkins、 Roy A. Adkins、 Both Professional Archaeologists Roy A Adkins
『Exotic Goods and Foreign Luxuries: The Ancient Roman Marketplace』/Ancient Origins
『A handbook to shopping in ancient Rome』History Extra
 
 
2)中世の「市」 
(1)Saint-Denis(フランス)
 7世紀から8世紀にかけパリ北部のSaint-Denis(サン・ドニ/パリ)ではいくつかの市(fair)が開かれるようになった。700年代(カール大帝/ローマ皇帝 742-814の頃)には、2月24日の聖マティア祭が開始され、800年代には6月の第2水曜日にはレンディット・フェア(the Lendit)や10月9日の聖デニスフェア(the Saint Denis)が定期的に開かれるようになった。
 
 経済産業省の『第2章 世界の展示会産業 』によれば、このフェアはKing Dagobertにより、629年に初めて開催され、710年までに1,000人の商人が集まったという。ついでにその経済産業省の説明を借りると、フェアが宗教的祭日に開催されていた証の一つとして、メッセ(messe)という用語はキリスト教のミサ(mass)から派生しているという説もあるそうだ。要するに、祭日には人が集まるので、そこで商売したら「効率良いじゃない」と考えて良さそうだ。
 
 市が開かれたパネティエール広場(the Place Panetière)やグーズ広場(the Place aux Guèdes)は屋根付きの広場だったというが、おそらく店の上がカバーされていたのだろう。それらの市は巡礼や宗教的な祭と合わせて開かれ、物販販売や税、通行料の義務を負った修道院の収入源となった。

 
(2)The Leipzig Trade Fair(ドイツ:ライプツィヒ)

ライプツィヒはパリ(フランス)〜ノヴゴロド(ロシア)ルートとベルゲン(ノルウェー)〜ローマ(イタリア)ルートの中継地点として、長距離貿易の要所だった。1165年に世界で最も古い国際見本市が開催されたと言われている。
 経済産業省のサイトによると、「即売(現金引き換え)型のフェアに加え、商談型のフェアも開催 されるようになった」という。

 
(4)Champagne Fair(フランス)
 
シャンパーニュのイラスト
13世紀頃のシャンパーニュフェアの様子
ウィキペディア

 中世ヨーロッパを代表するトレードフェアの一つが「シャンパーニュの歳市(Champagne Fair)」だ。12世紀から13世紀にかけフランス東北部のシャンパーニュ地方で開催されたこの市は、ベネチアやジェノバといったイタリアの 地中海と北欧(イングランド・ロシアを含む)とを結ぶ国際的なトレードフェアだった。主に、フランダースやフランスの商人の布と羊毛を、イタリアやプロヴァンスの商人によるスパイスや贅沢品と交換していた。
 
 ケンブリッジ大学の資料によるとバール=シュル=オーブ(Bar-sur-Aube) 、ラニー(Lagny)、プロバン(Provins)、トロア(Troyes:6月と10月に2回行われる)といったシャンパーニュ近郊の地域を巡回し、各6週間開催されたので、シャンパーニュ地方では一年を通してどこかで市が開かれ、1285年にフランスに編入される頃まで最盛を極めたという。
 
 見本市の役員が作成した契約は極めて有効で、どこでも通用する信用状にもなったという。中世ヨーロッパで「国際商取引」の観念ができたのもシャンパーニュの見本市とされ、
支払いや返済の機会が指定されるようになり銀行や会計業務の進歩に大きく貢献したという。
 
『What Lessons for Economic Development Can We Draw from the Champagne Fairs? 』
Britannica
All That The fairs of Champagne

 
 (4)Bartholomew Fair(イギリス) 

 
イギリスのフェアイラスト
Bartholomew Fair(illustrated in 1808)
ウィキペディア

 市(fair)と宗教的な祭との連動や一時的に多くの人が集まることで祝祭化し縁日やカーニバルの様相を呈する。大道芸をはじめとしたさまざまな芸人たちも加わり、市は非日常化した。 "場"の非日常化はディスプレイデザインの側面的特徴だ。ディスプレイデザインと市やエンターテインメントの関わりが深くなり、それは「市」から「イベント」への変容を意味する。そして、都市の成長や商業の発達により、「市」はやがて姿を消していく。都市の成長や交通の発達は商業流通を「市」から「店」へと推移させた。
 
 Bartholomew Fair(バーソロミュー フェア)は1133年から1855年までロンドンで開催された人気の高いフェアの一つだ。Encyclopedia of World Trade』によれば、このフェアの初期は物の交換を主としていたが、16世紀から17世紀にかけてエンターテインメントが加わっていったという。ミンストレルとよばれる中世ヨーロッパにおいて宮廷に仕えた職業芸人やその他の芸人たちのパフォーマンスは販売促進に大きく貢献した。『London A Social History』には、サイドショー(余興)やロープダンス、綱渡り、アクロバット、人形劇、フリーク(変わり種)、時には動物の見世物などがあったと書かれている。こうした芸人たちパフォーマンスにより、たくさんの見物人が集まり、交易も盛んに行われたのであるが、1808年に描かれた絵(上図)を見ると、装飾もまた会場の雰囲気づくりやアミューズメント化に貢献しているのがわかる。
 
Encyclopedia of World Trade』Cynthia Clark Northrup、 Jerry H. Bentley、 Alfred E. Eckes, Jr、 Patrick Manning、 Kenneth Pomeranz、 Steven Topik
London A Social HistoryRoy Porter

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